印刷ならお任せ~秋葉原制作所クリエイターズカフェ~ 

おめぐり編集室の「じゃんくろん」です。 

皆さまいかがお過ごしでしょうか? 

『秋葉原はオタク文化の中心地』と呼ばれますがオタク文化と一言で言っても様々なものがあります。 

アニメやゲームといったものやハイスペックPCやコスプレ。フィギュアやドールと言った立体物と多種多様。 

その中に「同人誌」というものがあります。 

ご存じない方に向けてざっくりと説明いたしますが同人誌とは同人(同好の士)が資金を出して、自ら執筆・編集・発行を行う雑誌のことを指します。ファンとマガジンから成るファンジン(fanzine)という言い方をされることもありますね。 

同人誌という言葉は知らずとも、主に8月のお盆と年末に行われる『コミックマーケット』というイベントを耳にしたことはあるかと思います。 

毎回約75万人近くがお台場の東京ビッグサイトに集まり、各々で制作した同人誌等を頒布するイベントです。 

そういう意味では、秋葉原と同人誌、同人文化というのは密接なものであります。 

なので、秋葉原にはそう言った同人誌、同人CD制作をサポートしてくれるスポットがあったりします。 

それがこちらの秋葉原制作所です。 

裏通りのはずれ、中古パソコンショップの2回にあるネットカフェになります。 

こちらの看板が目印です。 

派手さはなくともどこか印象深い眼鏡っ娘のキャラクターが印象に残りますね。 

店内に入るとまず目に飛び込んでくるのがこちらの印刷設備の数々です。 

こちらの秋葉原制作所ですが、同人誌制作の 

・イラスト制作 

・印刷 

・製本 

といった一連の作業をこの場所のみで行えるのです。 

また同人誌制作だけでなく 

・名刺印刷 

・同人CDのディスク印刷 

・同人CDのカバー印刷 

・A1、A2サイズのポスター印刷 

などなど…… 

個人で所有するには高価な特殊印刷などもリーズナブルに、かつ手早く行って頂けるので同人誌制作以外にも様々な印刷作業をお願いできる秋葉原ならではのお役立ちスポットなのです。 

こちらがディスク印刷専用の印刷機です。 

普通の家電量販店では売っておりませんし、そもそも持っていたとしてあまり使う機会がないと持て余してしまい、コストパフォーマンスが悪いと考えるのが正直なところ。 

ですがこちらの秋葉原制作所ではこういったCD印刷も手軽に1枚からでも行えるので、必要になった際に行ってみると良いでしょう。 

秋葉原制作所はネットカフェなので、インターネット設備が充実しているのはもちろんなのですが、その上で各席のPCには 

・Adobe Photoshop 

・CLIP STUDIO PAINT EX 

・コミックスタジオEX 4.0 

といった画像編集ソフトがインストールされているので、クリエイターには嬉しい仕様となっております。 

http://seisakujo.com/equipment/ 

その他にも手書きでの原稿制作に使い勝手のいいデスクや、それに必要なレンタル品の数々、飲み放題のフリードリンクなどアメニティも様々です。 

集中して作業したいと言う方にも大変嬉しいサービスがたくさんですので、 

「ご自宅では作業しにくい……」 

「たまには一人でじっくり集中してやりたい」 

とお考えの方には間違いなくありがたいものとなるでしょう。 

http://seisakujo.com/charge/ 

作業スペースの料金表は上記のようになっております。 

静かな場所でじっくり作業出来てこのお値段はリーズナブルと言えるでしょう。 

製作したイラスト等の制作物を印刷するのはまた別料金となりますが、 

30分だけ立ち寄って作業して、次回来店時に印刷を依頼するといったことも出来ます。 

http://seisakujo.com/template/ 

また、中には 

「画像編集ソフトは自宅にあるから、自宅で作ったものを持って行って印刷だけお願いできないかな?」 

とお考えの方もおられると思います。 

そういう方のために、あらかじめ印刷する際のテンプレートファイルも配布しております。 

こちらのファイルに則って制作物を作ると、いざ印刷した時に 

「なんだかイメージと違った……」 

「このイラスト端の方が切れちゃってる……」 

といった、印刷する際によくある事故を未然に防ぐことも出来ます。 

こう言った細やかな配慮が為されているのも秋葉原制作所ならではと言えるでしょう。 

また、受付や印刷の手配をしてくださるスタッフの方々も、こういった各種印刷に関してはめちゃくちゃ詳しいので、印刷する際の紙の手触りからイメージ、色合いに至るまで丁寧に、分かりやすく説明してくれます。 

設備面、アメニティ、スタッフさんの対応全てが嬉しいこちらの「秋葉原制作所」 

「同人誌制作には興味あったけど、色々買わなきゃいけないものが多そうでどこから手を付ければいいか分からない」 

「少し特殊な印刷をお願いしたいのだけど、どこにお願いすればいいのか迷う」 

といった方や、同人誌制作以外でも 

「急ぎで印刷しなければいけないんだけれど、どこに行ったらいいのやら……」 

といった個人で印刷が必要な場面でも大変便利なスポットとなっております。 

印刷や同人誌制作でお困りの際は是非、秋葉原制作所のことを思い出してみてください![文字列の折り返しの区切り] 

こちらの記事も見てくださいね。 

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店名:秋葉原制作所 

住所:〒101-0021東京都千代田区外神田3丁目8-6 

TEL:03-3255-0818 

秋葉原制作所ホームページ 

http://seisakujo.com/ 

トレーダーで懐かしのプレステソフトを探してみよう 

 

おめぐり編集室の「じゃんくろん」です。 

皆さまいかがお過ごしでしょうか? 

皆さま、ゲームはお好きでしょうか? 

コロナ下の巣ごもり需要というのもあって、ゲーム業界に注目が集まりつつある昨今、ニンテンドーswitchやプレイステーション5は品薄が続き、またゲーム新作が発表されるとTwitter等のSNSはそれだけで盛り上がりを見せます。 

しかし、先にも述べたように最新型のニンテンドーswitchやプレイステーション5は未だ品薄で買えないというのが悩みどころですよね。 

「それでも、それでもなおゲームがしたい!」 

そうお考えの貴方、懐かしのゲームソフトを多数販売しているトレーダー本店に足を運んでみてください。 

未だなお語り継がれる名作ゲームに出会えることでしょう。 

今回はトレーダー本店で見つけた「昔懐かしいプレイステーションのゲーム」をご紹介して参ります。 

まずはこちら 

『METAL GEAR SOLID INREGRAL』 

言わずと知れた有名タイトル、世界に小島秀夫監督の代表作とも言える1本です。 

米フォーチュン誌で「20世紀最高のシナリオ」とも称されております。 

シャドー・モセス島において、核兵器廃棄所を占拠した。「FOXHOUND」が米政府に対して5000万ドルとビッグ・ボスの遺体の引き渡しを要求。それが24時間以内に受け入れられない場合、シャドー・モセスにある核兵器を発射すると通告した。 

それを受け派遣された主人公のソリッド・スネークが単独でのスニーキング・ミッション(潜入任務)を開始する……というストーリーです。 

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こちらはプレイステーション2用ソフト 

「サルゲッチュ2」 

10代の方の中には 

「サルゲッチュ? 何それ?」 

と首を傾げる方もいらっしゃるかもしれませんが、発売当時は大人気でした。 

特徴的なサイレンを付けたヘルメット「ピポヘル」を被ったお猿さん、通称「ピポサル」達がハチャメチャに暴れ、逃げ回る中様々なアイテム「ガチャメカ」と「ゲットアミ」でゲッチュしていくゲームです。シルエットは似たようなものでも様々なアクションで個性を発揮するピポサルが愛おしく感じるゲームです。 

こちらはプレイステーション3のゲーム 

「地球防衛軍4」 

D3パブリッシャーが発表した人気シリーズのナンバリング4作目。 

タイトル通り、宇宙からやってきた異星人。彼らが繰り出す巨大生物や攻撃ドローン、巨大ロボットを撃退していく地球防衛軍、通称「EDF」の一員として戦っていくシンプルながらも奥深い1作です。 

初出はシンプル2000シリーズと呼ばれた頃に発表された「THE 地球防衛軍」から長らくプレイステーションのゲームを愛するゲーマー達に支持されてきた長い歴史を持つシリーズです。 

アクションゲームが好きな方だと言う方、こちらはいかがでしょう? 

プレイステーション3用ソフト 

「ベヨネッタ」 

眼鏡がチャームポイントのセクシーな主人公「ベヨネッタ」が両手両足に武器を持ち、ポールダンスのような華麗なアクションで舞うように敵の天使をばったばったと倒していく痛快アクションです。 

国内外でもクオリティーの高いアクションで定評のある「プラチナゲームズ」が開発した気持ちのいいアクションは今までにないゲーム体験を味わうことが出来るでしょう。 

こちらもアクションシューティングゲームの金字塔 

プレイステーション2用ソフト 

「ラチェット&クランク2 ガガガ銀河のコマンド―っす」 

今なお新作が作られ続けるラチェット&クランクシリーズ、通称「ラチェクラ」の1作です。 

様々な惑星を飛び交いながら多種多様なガラメカを駆使して様々な敵を倒しながら進んでいく爽快アクションシューティングです。 

シンプルなアクションはもちろんのこと、所々に存在するレースやアリーナ、スペースシップでの空間戦バトル等様々な遊び要素が盛りだくさん。 

気が付いたらすっかりのめり込んで楽しんでしまっている。そんな1作です。 

こちらはプレイステーション3用ソフト 

「アーマードコアV」 

ロボットシューティングゲームですが、このゲームの特徴的なところは超が付くほど細かく、本格的なカスタマイズ要素。 

両手足や武器はもちろん、詰め込む動力や背部のブースター、積載するレーダーに至るまで緻密に、かつ自由に組み替えが出来、自分が構築した機体でバトルが出来る人気シリーズです。 

ここしばらくは最新作の発表等がないものの、未だなお新作が待ち望まれており、 

「身体は闘争を求める」 

というネットミームが広く浸透しております。 

彼らが何故そうまでしてこのシリーズの新作を待ち望むのか、一度遊べば間違いなく分かることでしょう。 

と、このようにトレーダー本店では魅力的なゲームを多数取り揃えております。 

ゲーム本体もお手頃価格で取り扱ってございますので、 

「コロナ下でゲームを楽しみたい!」 

とお考えの方は是非一度、足を運んでみてください。 

こちらの記事も見てくださいね。 

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店名:トレーダー本店 

住所:東京都千代田区外神田3丁目14-10 

TEL:03-3255-3493 

トレーダー本店ホームページ 

http://otacky.tokyo/spot/977/ 

(^O^)明治のお金持ちの気分に浸ろう(^O^)

財閥という単語は今の日本の発展を見たときに、切っても切ることのできない単語である。 

考えてみれば今から200年前は、江戸時代の11代将軍の徳川家斉の御世で、日本地図で有名な伊能忠敬の弟子達の手により、「大日本沿海興地全図」が完成した年だ。 

そのときの人たちが現代の日本を創造することが出来たのだろうか?建物も木造だし、服装も着物で、髪型もちょんまげ。食生活も和食中心の(そもそも和食という単語自体がないが)日常生活のほとんどを既存の文化から西洋の文化を取り入れて、変わった日本。いや、取り入れなければ産業革命の後、資本主義のなかで市民革命まで通過した列強の国々の中で存在感を持って渡り歩くことが出来なかったであろう。変わることが出来なければ、近代の世界の歴史が示しているように、中国や東南アジア、アフリカのような植民地としての日本でしかなかったのである。 

この変化のことを日本の歴史では文明開化というが、これを実行するには政府だけでなく経済面においては財閥の存在は否定できない。 

「財閥(ざいばつ)」という語は1900年前後に使われ始めた造語で、当初は同郷の富豪を指したようだが、明治末期には同郷に限らず一般に富豪の一族を意味するようになった。 

今日の学界においては、「財閥とは、家族または同族によって出資された親会社(持株会社)が中核となり、それが支配している諸企業(子会社)に多種の産業を経営させている企業集団であって、大規模な子会社はそれぞれの産業部門において寡占的地位を占める。または、中心的産業の複数部門における寡占企業を傘下に有する家族を頂点とした多角的事業形態」という規定が通説的である。 

— 日本経営史―日本型企業経営の発展・江戸から平成へ― 有斐閣、1995年 

この財閥は、江戸時代から成立した三井財閥や住友財閥があるが、明治時代、政商として巨万の利益を得て礎を築いた三菱財閥をふくめて三大財閥と呼ばれる。 

今日はこの三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の長男 岩崎久弥氏が建てた邸宅を公園にしたところが台東区池之端にあり、「旧岩崎邸庭園」として一般公開されているのでそちらに行ってきました! 

岩崎久弥の詳しいプロフィール 

岩崎久彌年表 | 三菱グループサイト (mitsubishi.com) 

最寄り駅は「湯島駅」。この前訪れた(前回記事参照)お参りだけではない!?湯島天満宮の魅力  の方に進まず、不忍池方面に進んで少し行くと案内がありそのまま進むと、門が出てくる。 

アクセス・駐車場|旧岩崎邸庭園|公園へ行こう! (tokyo-park.or.jp) 

いったん門を進んでみることに。さすが財閥の邸宅があった所、どう考えても広い。 

ここからお屋敷が見えない。まあ安全上みえたらやばいものね。と、どんどん進む。 

右の写真は中間地点から入口の方をみるとこの景色。結構登っている 

歩いても、歩いても全然お屋敷が見えない。まあここの住人は歩いてお屋敷に向わないものね、使用人だけよね、ここを歩いてすすむのはと思っていたら、なんと!かわいいきのこが生えていた笑 ちょっと嬉しい。 

そこから進むとやっと!受付がみえてきた。(笑)この受付は現金だけでなく、キャッシュレス対応もしているのでクレジットカード、交通系IC入園料を支払うことが出来る。現金を持ち歩いていない私としてはとても有難いシステムだ。 

基本情報(HPより) 

開園時間 

午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで) 

休園日 

年末・年始 

(12月29日~翌年1月1日まで) ※イベント開催期間及びGWなどで休園日開園や時間延長が行われる場合もあります。 

入園料 

一般    400円 

65歳以上 200円 

(小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料) 

【20名以上の団体】 

一般    320円 

65歳以上 160円   

※身体障害者手帳、愛の手帳、精神障害者保健福祉手帳または療育手帳持参の方と付添の方は無料 

※無料公開日 みどりの日(5月4日)、都民の日(10月1日) 

【年間パスポート】 

一般   1,600円 

65歳以上 800円 

庭園ガイドのお知らせ 

○本園では、下記日時に庭園ガイドを行っております 

【定時ガイド】 

毎日(ただし5月4日、8月1日~31日、10月1日は休み):午前11時と午後2時(約60分) 

また、旧岩崎邸公園からもお知らせがあります! 

【はじめにお読みください】来園される皆様へ|旧岩崎邸庭園|公園へ行こう! (tokyo-park.or.jp) 

こちらの施設冷房がないし、建物内では飲食禁止なので、今の時期は観覧する前に、外のベンチで水分とってから臨みましょう!でも冷風機や扇風機があるのでそこまで熱さを感じずにみることができました☆ 

期間限定、夏だからこそ楽しめるイベント 

【お知らせ】和傘貸出サービスの実施中|旧岩崎邸庭園|公園へ行こう! (tokyo-park.or.jp) 

HPよりイメージ図 

熱中症対策のため、ひとやすみをしていたところから。 

場所が日本で時代が明治に建てられたとは思わせない建物。ここだけ見たらヨーロッパにでもいる気分だ。 

公園の成り立ちについてはHPに記載されている 

この公園について|旧岩崎邸庭園|公園へ行こう! (tokyo-park.or.jp) 

今の土地の広さでもかなり広いが岩崎家が住んでいらっしゃった当事は、3倍の広さの15000坪の敷地に20棟もの建物が並んでいたそうです!! 

さすが富豪という感じです。 

岩崎邸内部の動画 

動画|旧岩崎邸庭園|公園へ行こう! (tokyo-park.or.jp) 

詳しい公園の説明 

見どころ|旧岩崎邸庭園|公園へ行こう! (tokyo-park.or.jp) 

公園の建物等の説明は公式HPで説明されているので 

わたしは少しマニアック目線で(笑) 

洋館の各部屋には暖炉があるのだが、その暖炉ごとに模様や装飾が異なっている。 

また、婦人客室の天井やお部屋の雰囲気も明治時代とは思えないほどエモい。 

まだまだ紹介したい部分はたくさんあるがあとは実際に行ってみたら良いと思う。 

スタンプもあるので記念に押して帰ってきました☆ 

今回お邪魔したところは・・ 

旧岩崎邸庭園 

〒110-0008 東京都台東区池之端1丁目3−45 

03-3823-8340 

徳川のご威光が今でも分かる場所

東照宮といえば日光東照宮が有名だが上野にも東照宮があるのはご存じだろうか? 

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/taito/3050/ 

東照宮とは徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社で、日光や久能山の他、全国に数多くございます。 

1616年(元和2年)2月4日、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康公の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言されました。 天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内には多くの伽藍が建立されました。1627年(寛永四年)その一つとして創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。 1646年(正保3年)には朝廷より正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。(HPより) 

自称はしていないが、全国にある東照宮の中でもその豪華さや由来から「日光東照宮・久能山東照宮・上野東照宮」を三大東照宮と呼ばれることが多い。また近隣の芝東照宮は自らをこれらの東照宮に並ぶ四大東照宮の一つとしている。 

2022年は、壬寅(みずのえのとら)年で、この干支の周期は60年に1度巡って来る。徳川家康公がお生まれになって480年。家康公は壬寅年になり、8回目の還暦を迎える今年は、必ず参拝して欲しい強運スポットになっています! 

Youtubeではバーチャル参拝の如く、動画で雰囲気を味わえる。 

TV番組でも放送されているので今年行くべきパワースポットだと結構知られているのでは。 

テレビ朝日 サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん 

新年初回は1月3日月曜日のお正月2時間半スペシャル! 

https://www.tv-asahi.co.jp/hakasechan/backnumber2/0021/

この番組が大好きで、新年早々たまたま視聴していたので、上野東照宮のことは実は知っていた(笑) 

テレビ朝日 出没!アド街ック天国 

2022年4月16日放送の上野公園の放送回でも5位に挙がる。 

https://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/backnumber/20220416/142701.html

いずれの放送も見逃し配信で放送回を確認することがきるので、視聴して知識や情報を持って参拝に行くことで感じる世界が深まるかもだし、情報のフィルター無しで参拝する中で自分がただ感じる世界の後、番組等を視聴して整理するという方法のどちらもオススメできる。どちらか一方しかできないけど(笑) 

前置きが長くなったが、いざ!参拝へ。 

上野東照宮へ行くには車か電車で行く方法がある。 

https://www.uenotoshogu.com/access/

私は不忍池の周りをウロウロして弁天堂まで行き着いたところでやっと道路を渡ることに気づき、ものすごく遠回りしてしまった!そもそも上野公園の博物館や美術館がある側には赴いたことはあったが、上野駅側は初めてで、こんなにでかい公園だと認識していなかった。あーびっくり、びっくり。 

境内案内図の横には「大石鳥居」備前の御影石を使用した鳥居で、1633年(嘉永10年)に酒井忠世により奉納された。国指定重要文化財。 

鳥居を抜けると水舎門(みずやもん)があり、もともとは、社殿の手前にある水舎として使用されていたものを門として利用しているものです。この水舎は慶安4年(1651年)、時の老中阿部重次が奉納したもので、社殿の手前右側にありましたが、その水舎の上屋だけを昭和39年に門として移築したものだそうです。 

水舎門をさらに深掘りしている↓ 

https://wheatbaku.exblog.jp/25282811/

参道は石畳になっており、脇には灯籠が唐門まで続いている。 

参道を進むと右手側に五重塔が見えてくる。 

あ、あれ?ちょっとアングル悪い。 

説明文だけでも歴史によって左右されている事が分かる建造物 

さらに進むと右手には神楽殿、左には現在の水舎がある。 

神楽殿 こちらは江戸時代のものではなく比較的最近の明治7年(1874年)。 

    額には徳川斉民の筆による「材木渡来中」の文字がある。徳川斉民は美作国津山藩八代藩主で、父は11代将軍徳川家斉。異母兄に12代将軍徳川家慶がいる。 

現代の水舎。 

コロナウィルス対策のため、手のみお清めして進んでいきます。 

手のお清めを済ませて前へすすむと~門が大きく見えてきました。 

また奥にみえている社殿を守るように狛犬が鎮座している。 

狛犬は三大石工の一人とされていた「井亀泉」酒井八衛門の作で、 

筋骨隆々の力強さが特徴。 

こちらは1914年(大正3年)に奉納されたもの。 

そして・・みえてきました唐門と拝殿。 

今は有難いことに、参拝方法も提示している。 

が、しかし、ミスったー。 

ちゃんと間違いがないように読んでから参拝したはずなのに。 

「うわ!まちがえた!」とか声に出してしまった。 

唐門(唐破風造四脚門 からはふづくりよつあしもん) 

1651年造営。国指定重要文化財。 

徳川の威光が表れている一つだ。 

右端で見切れてあるのが御三家灯篭のひとつだ。 

唐門両側の6基の銅灯籠は家康公36回忌である 

1651年4月17日に奉納された。 

尾張・紀伊・水戸の「徳川御三家」より2基ずつ 

奉納されたもので、すべて重要文化財に指定されている。 

これより先に参拝すると唐門の裏側や、社殿を間近で見ることが出来る。 

御朱印やライトアップなど詳しく上野東照宮のことを知りたい場合はこちら 

https://jinjamemo.com/archives/uenotoshogu.html

写真撮影に対応していたり、感染症対策もされていたりと今の時代に合わせて参拝できるように工夫もされている。 

季節によって違う姿を見せる上野東照宮 

https://park.tachikawaonline.jp/shrines_temples/15_uenotoshogu.htm

今回、はじめて上野東照宮にいってこぢんまりとはしているものの、豪華で 

荘厳な造りには圧倒される。日光の東照宮は修学旅行でいったが、東京にも家康公を祀るものがあると、当時としては東国の田舎に追いやられた家康公が江戸幕府を開いて250年の間、発展させた功績だろう。 

神田明神柳森神社湯島聖堂など、徳川家と縁が深い場所がたくさんある。 

ちなみに上野公園界隈にはたくさん見所があるので1日では回りきることが出来ないスポットなので計画を立てて観光してみると面白いだろう。 

上野公園にはもっと魅力いっぱい☆ 

日本を代表する情報発信地、秋葉原

JR秋葉原駅電気街口を南側に出た目の前を正面に設置された「世界のラジオ会館秋葉原」。 

https://www.ikyu.com/kankou/arealist8097/

秋葉原の観光スポット30選で5位に輝いている秋葉原のランドマークだ。 

1950年に開業し、フィギアブームなどアキバカルチャーが生まれた場所だ。今の建物は2014年にリニューアルしたものだが、開業当時も今の看板のように「世界のラジオ館秋葉原」と書かれた大きなネオンの看板だったので秋葉原の顔と言うべき建物であった。 

「ラジオ」という名称は開業当時、無線機のみならず、電子機器全般の代名詞としても広く用いられていたものであり、秋葉原にある他の「ラジオ」等の名のつく小規模店舗が集まるビルと同じく、当初は戦後占領期にGHQが露店の排除命令を出したことで、行き場を失った電器店の営業拠点の提供を目的に建設された。こうした経緯により開業当初より電気製品・部品を扱う店が多く入居していたが、時代と共に一般家電、オーディオ、パソコンなど入居する店の扱う商品も変化していった。特にパソコンに関しては、日本電気富士通日立製作所東芝三菱電機といった大手メーカーのショールームが一時期集中していた。Bit-INN LOUNGE(旧・Bit-INN東京)が2001年8月まで入居していたラジオ会館7階には、「パーソナルコンピュータ発祥の地」というプレートが設置されていた。 

秋葉原のランドマークの一つとして親しまれたラジオ会館であったが、旧本館が築50年近く経過して老朽化が進み、東京都から建物の耐震性の問題が指摘されていたため、2011年7月末に閉館した。(Wikipediaより) 

今回訪れたのは2014年にリニューアルオープンした現・「世界のラジオ会館秋葉原」。 

入口へ進むとエスカレーター横にはみずほ銀行のATMがあり、軍資金は潤沢に持てる笑 

逆にここで宝物と出会ってしまうと気づいたら残高が少なくなってしまうかもしれない、、 

様々なお店はあるが、私が一番行きたかった4階のあみあみ 秋葉原ラジオ会館店。 

https://www.amiami.jp/top/page/t/store.html

フィギュアをはじめ、キャラクターグッズ、カードゲームなどホビー商品を幅広く取り扱っていて、発売前のフィギュアサンプルの展示も行っている。 

エスカレーターを横に進むと、フィギュアのディスプレイがたくさん! 

最初から激アツです★ 

マーベル 

トイ・ストーリーとSTAR WARS(スターウォーズ) 

鬼滅の刃 

他にもディズニープリンセスやコナン、LINEスタンプで人気になったカナヘイのキャラクター、ジブリシリーズがお迎えしてくれる。どのキャラクターも大好きな私は、この入口だけで10分。眺めて喜んで携帯のカメラに納めて、側から見たらオタク全開中だ。 

そこからテンション爆上げだった私はさらにお店の奥へと進むと、パラダイスが広がっていた。棚ごとにいろんな漫画アニメのグッズが並び、その度に吟味する。。 

なんでこんな素晴らしいお店を知らなかったんだ、私・・・! 

ミニオンズ 

SPY FAMILY (スパイファミリー) 

僕のヒーローアカデミア(ヒロアカ)、ブルーロックなどたくさんのアニメキャラのコーナーがある。 

なんか勝手に秋葉原という町はもっと違う世界の人たちの街だと思って、実は今まで一度も降りたことのない街だった。ゲームオタクやフィギュアコレクター、アイドルオタク、メイドカフェなどデフォルメされた秋葉原しか知らず、「百聞は一見にしかず」ではないけれど、ありのままの秋葉原の姿を見てこなかったなーと感じた。 

私の秋葉原のイメージ(笑) 

https://eiga.com/movie/41347/

時を同じくして秋葉原に感動した芸能人 

https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0821/spn_220821_9157196967.html

秋葉原も2005年のヨドバシAkibaのオープンを皮切りに2006年に秋葉原UDXがオープン、景観にも変化が始まり、なんとってもAKB48が2005年から活動始めた頃を皮切りに、家電の街からサブカルチャーの発信地へと変化していった。このことによって、家電、サブカルチャーも求める国内外の観光客が増え、なんとなくヲタクのイメージに包まれていた秋葉原という街が日本を代表する観光スポットへと変貌を遂げたのかと感じる。 

秋葉原の歴史はこちら 

https://toyokeizai.net/articles/-/505322?page=4

また2010年代に入り、御徒町駅から秋葉原駅高架下の2k540からSEEKBASE、ちゃばら(内部リンク)高架下からヒト、モノの交流が活発に!(内部リンク)で江戸時代から続くこだわりをもつ職人のモノづくりとしての発信と交流や、旧万世橋駅のリノベーション(内部リンク)時代が変わってもヒトとモノの賑わい溢れる場所(内部リンク)を通しての人、モノの交流を見てみると秋葉原という町が少なくとも江戸時代から時代を超えても繁華街として機能していたことがわかる。 

また、神社や史跡も多くあり、湯島聖堂(内部リンク)気になっていたところは湯島聖堂でした(内部リンク)や、平安時代よりもまえに創建した神田明神(内部リンク)参拝するだけで人生パワーアップ(内部リンク)、室町時代に創建した柳森神社(内部リンク)玉の輿に乗るならここにお参り!(内部リンク)の参拝に来ていた人もいると考えると、どの時代にも近辺の住人だけでなく、観光者が多くいたことであろう。 

新しい文化とこだわりあるものを発信して賑わいを見せ続けた地域。これからもどんなものがここから発信されるのか楽しみな場所であることは間違いない! 

[プチ情報!]

ちなみに世界のラジオ会館秋葉原では、夏の間はひと月に2日程度だが、期間限定 屋上イベントあります! 

https://mobile.twitter.com/akibaradikan/status/1560922086838652932/photo/1

インスタやWebサイトでも屋上からの写真を上げている人も多い!なかなかみることのできない景色が広がっているのでタイミングを合わせて行ってみても◎ 

今回お邪魔したところは 

  • あみあみ秋葉原ラジオ会館店 
  • 住所: 〒101-0021 東京都千代田区外神田1丁目15−16 秋葉原ラジオ会館 4F 

玉の輿に乗るならここにお参り!

旧万世橋駅がリノベーションされてできた、mAAch マーチエキュート神田万世橋(内部リンク)時代が変わっても人とモノの賑わい溢れる場(内部リンク)に行った際に、何処か近くで面白いところはないのかなと考えたところ、出てきたのが柳森神社(やなぎもりじんじゃ)だ。 

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/chiyoda/5543/ 

この神社は、1457年麹町台地の東端に扇谷上杉家の家臣太田道灌が築いた平山城であった江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社である。また、椙森神社烏森神社と共に江戸三森の一社と呼ばれた。そしてもう一つ、玉の輿に乗りたいひとが参るべきなのかは、また後述する。 

では行って見ましょう! 

お茶の水駅から旧万世橋駅を抜けて神田駅に向かう中央線の高架下を抜けると、室町時代に多くの柳を植えた名残が道路沿いにある。 

鳥居の前に立つと、社殿が鳥居より下にある「下り宮」である。 

「下り宮」?鳥居(門)からの参道が下り坂になっているお宮のことで、有名な「下り宮」では島根県にある出雲大社だ。 

鳥居をくぐり、階段を下ると、右手には富士講関係石碑群がある。 

5つの石碑群は、柳森神社は、柳森神社周辺に存在した富士講のなごりを今日に伝える石碑群です。富士講とは、富士山信仰をもとに成立した民間信仰の一種で、江戸時代、特に町民や農民の間で流行しました。柳森神社は、1680年に駿河富士宮浅間神社から分祠した富士浅間神社を合殿・合祀した経緯から、富士講と深い関わりを持つ場所でした。 

(看板より) 

手水舎の水鉢は1698(元禄6)年の刻銘がかすかに読み取れる。 

また、その先へ進むと、「力石群」がある。 

実は、この柳森神社境内は小さいが、主祭神の倉稲魂大神(くらいなたまのおおかみ)をはじめ、幸神社(伊弉冉命、稚産霊命、倉稲魂命、誉田別命)、福寿神祠、金刀比羅神社、水神厳島大明神、江島大明神、秋葉大神、明徳稲荷神社(宇気母智神)、富士淺間神社(木花開耶姫命)を配祀する境内社が多い神社なのだ。 

これだけいると、争いが起きそうな感じだが神様だから争わないか笑 

この中で、福寿神祠がタイトルにある通り、玉の輿にまつわるモノだ。 

なぜなら、5代将軍綱吉の生母である桂昌院が崇拝していた狸の神様が祀られている。というのも、八百屋の娘から将軍の生母として出世した桂昌院にあやかろうと大奥の女中に崇拝者が多く、女中たちは福寿神をかたどった像を忍ばせて玉の輿を願ったそうです。(諸説あり) 

時代と共に玉の輿の願掛けから「他を抜く」という意味を持たせて出世や富くじ的中など福を求めた理、所願成就の神として崇められるようになりました。 

もともとは、江戸城内に福寿いなりと称して創建された。後世、元倉前甚内橋際 向柳原の御旗本、瓦林邸内に祠を移し祭祀される様になり、明治二年現在の柳森神社に合祀されました。 

境内の細かい装飾まで見ることができるのはこちら 

柳森神社に祀られている、詳しい神様の説明はこちら 

参拝した後、ふと見えてきたものがあった。 

御朱印状、とある。え?セルフの御朱印初めて・・・ 

押したものがこちら 

あーん、ごめんなさい。いつも持ち歩いている御朱印帳忘れてしまって、ノートに押しちゃいました。 

料金は賽銭箱に100円と書かれていたので入れて帰ってきました。 

本当に今回調べるまでは知ることのなかった柳森神社。小さい境内の中にたくさんの神様が祀られていて、御利益も多岐にわたる。また歴史的にも徳川家康公が江戸幕府を開く前、室町時代から創建されている興味深い神社だった。 

https://jinja.tokyolovers.jp/tokyo/chiyoda/yanagimorijinja

春日局に見込まれて三代家光公の側室となり、五代将軍綱吉公ご生母となった桂昌院様は、京都堀川に八百屋の娘として生まれたお玉が、当時、格も高く由緒もあった西陣の大店である本庄家に養女に出され、江戸まで輿に乗って嫁いだのち、将軍の母になったことで官位は従一位となることで大・大・大出世?(というのか笑)したことが玉の輿の語源ともされている。 

女性ならご利益をいただいて結婚相手を探してもいいのかもしれない。男性はどうなんだろう笑笑 

どちらにしても皆様が幸せに健康に日々過ごせますように 〜祈〜 

今回お邪魔したところは・・・ 

  • 柳森神社 

前回邪魔したところは柳森神社から徒歩10分の旧万世橋 

時代が変わっても人とモノの賑わい溢れる場

時代が変わってもヒトとモノの賑わい溢れる場所時代が変わってもヒトとモノの賑わい溢れる場所

かつて中央線の御茶ノ水駅と神田駅の間に、「万世橋(まんせいばし)駅」という駅があった。現在は廃止駅になっていて、名前の由来は神田川に架かる万世橋に由来する。 

万世橋 

神田須田町一丁目と外神田一丁目を結ぶ橋です。最初は明治17(1884)年に架けられた木橋で「昌平橋」と呼ばれ、その後、「新万世橋」→「万世橋」と名称を替えました。明治36(1903)年にほぼ現在の位置に架けられましたが、関東大震災で被害を受け、昭和5年に長さ26m、幅36mのRC造アーチ橋が完成しました。この橋は、巨大でアールデコ調の橋灯付き親柱が特徴です。 

1912年(明治45年)に完成した赤レンガ造りの万世橋高架橋が、2013年9月14日に「mAAch ecute(マーチエキュート) 神田万世橋」として開業した。 

https://www.ikyu.com/kankou/spot6779/

こちらの商業施設の中には 

・創業190年の木内酒造が都内初の直営販売店(https://kodawari.cc/restaurant/kiuchi_kanda.html) 

・ブルーボトルコーヒー(https://store.bluebottlecoffee.jp/pages/kanda)が入っている。 

飲食店だけでなく服飾(https://fabric-tokyo.com/stores/akihabara)、 

アクセサリー(https://www.instagram.com/neufnoi_by_atelier03/)、 

眼鏡(https://www.ohmyglasses.jp/about/ask-us/stores/akihabara/)など、広くはない敷地に17の施設がある。階段、壁面、プラットホームなどの遺構がよみがえった空間の中に知的好奇心を掻き立てるような趣味性、嗜好性の高いショップやカフェが並ぶこれまでにない商業施設。文化性を求める人たちが語らう往時のサロンのように、日本の「今から」の価値を発信し、街のムードやにぎわいを創出する“周辺エリア活性型商業施設”です。(HPより) 

また、こちらの2階には旧万世橋駅の開業時に作られたホーム部分を『2013プラットホーム』として整備、デッキとしてよみがえりました! 

ガラスに囲まれた展望デッキからは中央線の車両を行きかい、鉄道ファンだけでなくこんなに至近距離で通過する電車を見ることができるのは大興奮もの! 

またこちらのデッキに向かうにはエレベーターもあるが、二つの階段がある。 

【1912階段】【1935階段】だ。 

【1912階段】は1912(明治45)年の駅開業時に造られた階段。1936(昭和11)年の鉄道博物館(後の交通博物館)時代には、ホームから博物館に直接入館できる特別来館口として利用された。駅休止以来、初の公開です!! 

1912年の開業以来の階段ということで、この階段が110年前に作られたものとはとても思えない。 

今思い起こしてみれば、約170年前にはまだ江戸時代で黒船も着ていない頃だ。この短い期間で日本という国が近代化に向けてすごい速さで走り、今のこの時代があると思うと江戸時代の250年の鎖国がいかに外国からの影響をあまり受けてない時代か分かるし、技術の改良のスピードの速さが分かる。 

【1935階段】鉄道博物館(後の交通博物館)の新館が建設されることとなり、新たに1935(昭和10)年に設置された階段。駅休止まで使用され、2006(平成18)年に限定公開されて以来の一般公開となる。 

旧万世橋駅 駅貼りポスター 

旧万世橋駅の休止後、人が通ることのなくなった 

階段の途中に「重点輸送強化運動」という駅貼りの手書きポスターの一部が残されていました。実物は丁寧にはがされ保存されましたが、ここが駅であった数少ない証として複製品を元と同じ位置に復元し、展示しています 

万世橋高架橋 コア抜きレンガ 

1912年に完成した高架橋は詳細な図面が残されていませんでした。耐震補強工事で内部構造を確認したり、新たな出入り口を設置したりするために、レンガ壁を筒状にくり抜く工事が行われました。最も厚い所で約3Mのレンガ壁があることが確認され、非常に強固な造りであることがわかりました。工事で発生したコア抜きレンガの一部を保存し、展示しています。 

よくみてみると階段の踏面質が1920年のものと1935年は異なっている。ここでも年代の違いが出ていて面白い☆ 

旧万世橋駅 (明治・大正時代) 

中央線のターミナル万世駅は、当時、東京でも屈指の繁華街だった須田町交差点前に、1912年4月1日に開業した。当時の最新の技術で作られた煉瓦アーチの高架橋を背にして建てられた駅舎は、後に、東京駅丸の内駅舎の設計を手がけた明治建築界を代表する建築家、辰野金吾と葛西万司の設計で、壮麗なレンガ・石積(一部鉄骨造り)の2階建てで、駅舎内には食堂も併設されていた。駅前広場には日露戦争の英雄、廣瀬武夫と杉野孫七の巨大な銅像が建ち、須田町交差点には東京市電の各系統が集まり、中央線電車と市電の乗り換えターミナルとして、ますます賑わいを増していった。 

1923年関東大震災で駅舎が焼失してしまい、1925年には2代目駅舎が完成したものの、初代駅舎の壮麗さは全く失われてしまった。(現地看板より) 

万世橋について建築的観点から 

https://story.nakagawa-masashichi.jp/88165

交通博物館(昭和・平成時代) 

関東大震災後の復興計画による区画整理で、須田町交差点が中央通りと靖国通りの交差する現在地に移され、それに伴い路面電車の経路も変わったため、万世橋駅前は裏通りになり、かつての繁華街の賑わいは失われていく。1932年にお茶の水~両国間の高架線が完成して秋葉原駅が開業すると、万世橋駅の重要性はさらに薄れ、2本あったホーム1本に減ってしまう。 

1936年、かつての駅舎の基礎を利用して鉄道博物館(後の交通博物館)の建物が建てられた。昭和戦前期を代表する鉄筋コンクリート造りのモダニズム建築で、2つの円弧状の階段室が特徴的だった。この際、駅の機能は大幅に縮小され、駅長室や事務室、改集礼口は鉄道博物館の一画になり、ホームにつながる階段も位置が変更された。その後も利用者の減少は続き、戦時中の1943年には不要不急駅とされて営業を休止し、開業からわずか31年で万世橋駅は姿を消した。 

終戦後には駅前の銅像も撤去されたが、博物館は戦火を逃れ、70年もの長きにわたり多くの来館者で賑わい、鉄道への夢を育み続けた。しかし、さいたま市への移転が決定し、2006年5月14日、惜しまれつつ閉館した (現地看板より) 

http://www.minami-nagareyama.org/gallery/tokyo/kouhaku/index.htm 

こちらの場所は明治・大正・昭和・平成・令和と、時代を超えて賑わう場所であった。また近代化される江戸時代においても、日本橋から今川橋、神田を経て筋違門(すじちがいもん)に至る大通りは、江戸市中を縦断するメインストリートであった。このように、この界隈は、近世には城下の中心をなす町屋や物資流通の拠点である荷揚場があり近代となり万世橋駅を中心として繁華街が広がるなど、人やものが集積し賑わいをみせてきた地域である。 

(現地看板より) 

看板にも書かれていたように、江戸時代から時代ごとに変遷が激しい地域だが、どの時代も人やものが移動する中で新しい文化を発信している地域なのかもしれない。 

空間としては広くないが、筋違門や、万世橋の存在や、昔賑わった万世橋の賑わい、交通博物館での賑わいを思い起こせる場所でした! 

今回お邪魔したところは 

  • マーチエキュート神田万世橋 
  • 〒101-0041 東京都千代田区神田須田町1丁目25−4 
  • 電話: 03-3257-8910 

旧万世橋HP 

https://www.ejrcf.or.jp/mansei/

筋違門については 

https://wako226.exblog.jp/15406871/

前回お邪魔したところはこちら 

《内部リンク》お参りだけではない!?湯島天満宮の魅力《内部リンク》 

万世橋と縁のある神田祭を行う神社、神田明神についてはこちら 

参拝するだけで人生パワーアップ!?

お参りだけではない!?湯島天満宮の魅力

やはり、東京・関東の学業成就のお祈りをするなら、ここではないだろうか? 

大学受験の時には、私も行こうか悩んだが、郊外からそこに向かう時間を勉強にあてたほうがいいし、高2の修学旅行で北野天満宮に行ったのだから、ま、いっか。ということで参拝しないままだった。それだけでは確実にないけど(笑)、第一志望にはいけませんでした。。。 

関東近郊では有名な天神様の一つといっても過言ではない 

http://park.tachikawaonline.jp/news/shrines_temples/4025/#:~:text=%E3%80%8C%E9%96%A2%E6%9D%B1%E4%B8%89%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF,%E3%81%82%E3%81%92%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%BA%8B%E3%81%8C%E5%A4%9A%E3%81%84%E3%80%82 

なんと、この鳥居、銅製で、寛文7年(1667)同8年の刻銘があり、この時期に寄進された物だそうです!!都内に遺存する鋳造の鳥居としては時代も古く、制作も優秀なもので、昭和45年8月に東京都指定有形文化財に指定されました。 

鳥居の横には湯島天満宮の御由緒の看板があり、木の看板なのでそれだけで格式高い・荘厳な雰囲気を醸し出している。 

湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。 

その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。 

 明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。 

明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。 

 元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。 

 明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。 (HPより抜粋) 

えー!?458年って奈良時代より前。。そして、今でこそ東京の街は都会だが、徳川家康公が江戸幕府を開くまではぱっとしない土地だったはずなのに。あ、でも、江戸幕府開いてからきちんと定着したみたいですね。 

道真公の御事歴や梅、牛とのかかわりを詳しく知りたい方はこちら 

https://www.yushimatenjin.or.jp/pc/engi/engi.htm

菅原道真公にまつわるお話。 

史上最恐!【日本三大怨霊】にまつわる悲しい歴史とは?ゆかりの場所も紹介 

https://thegate12.com/jp/article/351#content-4

ここで出てくる平将門公が祀られている神田明神の記事はこちら 

参拝するだけで人生パワーアップ!?

本殿へ進んで、お参りです。 

湯島天神は学問の神様とされている菅原道真公の他に「天之手力雄命」が祀られています。日本神話に出てくる大地の神様で、岩に隠れてしまった天照大神を救い出した力の強い神様なので、学業成就だけでなく開運・勝運のご利益が期待されているので、知人に受験を控えている方にはもってこいの神様たちですね! 

正しい参拝方法は・・・ 

https://www.asoview.com/note/648/

境内はこぢんまりとした中に様々な歴史がある。 

撫で牛 

菅原道真公は牛とは切っても切れない関係で、お生まれになった日も丑の日、遺言にも「牛のいくところにとどめよ」と残されたために安楽寺四堂のほとりで動かなくなり、そこを御墓所と定めたとされています。これ以外にも牛を慈しんでいた内容が伺えます。 

参拝者が思いのままに撫でている牛になっています。 

インフォメーションはまさかのタッチパネルでページが変わるごとに神社っぽい?音楽が流れとても楽しい雰囲気に☆ 

関東近郊だけでなく全国からの合格祈願の絵馬がたくさんかけられている。 

願いが成就され、お礼参りは全国でも有名だ。 

私が参拝したときも境内で「御礼参りの」のアナウンスが 

流れていました! 

こちらも、梅がとてもキレイなので合格祈願とかの目的がない参拝の場合は梅の開花に合わせていくと、景色も十分に楽しむことができる。 

泉鏡花の「婦系図」に出てくる湯島の境内。こちらの筆塚は昭和十七年に、里見 惇、久保田万太郎、岩田藤七らによって建てられた。 

http://www.tokyo-kurenaidan.com/kyoka1.htm 

これ以外にも、「講談高座発祥の地」碑や王貞治の「努力の碑」など境内の中にもたくさんの歴史がある。 

詳しくはこちら 

https://www.yushimatenjin.or.jp/pc/keidai/keidai.htm

たくさんの魅力溢れる湯島天満宮をもっと楽しむにはこちらを参考にどうぞ 

https://hirotravel.com/kantou/toukyo/yusima/

湯島天満宮の御朱印の情報はこちら 

高校生のときに来ることが出来なかった湯島天満宮。長い年月を経て(笑)来ることができ、とても嬉しかった。お礼参りという作法も知ることが出来、とても良かったです! 

今回お邪魔したところは・・・ 

  • 湯島天満宮 

前回伺った湯島天神の記事も是非どうぞ。

高架下からヒト、モノの交流が活発に!

3331ArtsChiyoda(地域とともにある芸術発信場)に行ったとき、オススメででてきたのが2K540 AKI-OKA ARTISAN https://www.jrtk.jp/2k540/だ。 

この不思議な英数字の並びの名称は鉄道用語で、東京駅を起点とした距離「キロ程」で場所を示すらしく、この施設が2K540付近にあるため「2K540」(ニーケーゴーヨンマル)と呼び易く親しみやすいようにとつけられたそうだ。またAKI-OKAというのも秋葉原駅と御徒町駅の中間に位置していることと、秋葉原-御徒町駅間の高架下に人の流れをつくりたいという思いを込めて作り上げたものとフランス語で「職人」を意味するARTISANを組み合わされた名前だ。 

その名前の如く、現在、駐車場、倉庫にしか使われてない高架下を古き良き時代感をのこしつつリノベーションしてクリエイター同士、クリエイターと企業、クリエイターと来場者など「ヒトとヒトを結ぶ場所」として空間利用することを通して、高架下の新たな役割を見いだし、「ものづくり」の拠点となる施設を目指すことで新たなブランド価値を創出することをコンセプトにあげている。 

そういうコンセプトなのでクリエイターと直接話ができるフェイストゥーフェイスの店になっており、多くが工房とショップがひとつになっているスタイルだ。流行に敏感な若い職人やデザイナーによって一つひとつ丹念に作られる商品は大量生産の製品にはないぬくもりと新しいデザインに溢れ、自分だけのオリジナル商品もつくることができる。 

この施設を通して単にモノを売るだけでなく、ショップ、カフェ、展示会等、リアルタイムの情報を発信するコミュニケーションの場であり、才能ある次世代のクリエイターを発掘し、育て、支援し、世界に向けて活躍できる環境を構築していくそうだ。 

前置きが長くなったが、実際施設にいってみました! 

高架下とは思えない、まるで異世界へと誘われる空間。この雰囲気だけで何があるだろう?どんな出会いがあるだろう?とワクワクが止まらない(笑) 

アルコール消毒だけでもとても味のある看板! 

気になったお店たち↓ 

https://k-koubou.easy-myshop.jp/

『食卓(テーブル)』にこだわった家具専門店。 

テーブル近くの面白い小物がいっぱいでした! 

https://conosaki.net/

通路からも見えるたくさんのランドセル。カラーバリエーションやデザインだけでなく機能性も併せ持つ、ここだけでしか作れないものを6年間大事に使うのは良い思い出になるそうですね! 

一番目を引いたのはこちら。 

https://www.tokyo-noble.com/

世界でたった一つの自分だけの傘が作れる! 

好きな手元、房、丈の長さ、もちろん色も。 

傘自体だけでなく、傘小物やマスク、アクセサリー、 

展示されているミニ傘も購入できるそうです! 

工房だけでなく、飲食店も入っています! 

http://cafeasan.jp/ 

様々なTV番組でも取り上げられたcafé asan。一番人気のメニューは私たちがイメージするホットケーキとは違い、スフレホットケーキというふわふわの分厚いホットケーキ。こちらではプレーン、ハニーバター、フォレストベリー、クルミカスタードキャラメル、メープルクリームチーズ、レモンカスタードの6種類もあり、選ぶのに悩んでしまう。 

スウィーツだけでなく普通の食事もあるので是非2k540に行った際は訪れてみるのも◎ 

ここで紹介したもの以外にもジュエリーやアクセサリー、革製品のお店、万華鏡や陶器、桐箱や木製雑貨のお店やファッションやカフェ、レストランなど量販店にはない自分だけの「イイモノ」を散策しに1日中いても楽しいエリアでした! 

https://www.jrtk.jp/2k540/shop/

また、イベントやワークショップが行われている時もあるので要チェック! 

https://www.jrtk.jp/2k540/info/

高架下のイノベーションは2k540だけでなく、ここから秋葉原駅方面に進むと、 

SEEKBASE https://www.jrtk.jp/seekbase/とよばれる、未知のワクワクとスグレモノを探すことのできるプロダクトとフードを扱う専門ショップが集まり、中には新感覚の高架下ホテルもあります! 

https://www.urh-akihabara.com/

アーバンロハスを意識した、カフェを併設したホテル。観光や仕事で溜まった疲れをリセットできるよう、アースカラーをベースにしながら都会的なクールなエッセンスを取り入れているホテルです。 

もうすこし、秋葉原方面に進むと、 

2nd BASE: https://www.2ndbase.jp/ 

レコファン秋葉原SSEKBASE店 :https://www.jrtk.jp/seekbase/shop/#shop_1-1 

等がはいっており、さらに進むと 

  1. 常陸野ブルーイング 東京蒸溜所 
  1. THE TOBACCO AKIHABARA  

  よりマナー良く、心地よい分煙の実現と煙草文化の発信を目的として始動した喫煙所ブランド「 THE TOBACCO 」。喫煙場所が制限されていく中、喫煙者が積極的に立ち寄りたくなる場所をプロデュースすることで、秋葉原駅近隣で昨今問題となっている路上喫煙やポイ捨て等のマナー違反を減らしていくことに寄与して参ります。また、併設するポップアップスペースでは、喫煙所利用者への商品やサービスの販売・ PR に対応可能です。(HPより) 

秋葉原駅がみえてくるとそこには 

https://www.jrtk.jp/chabara/

かつて賑わいを見せた神田青果市場跡が、秋葉原で新たに「食文化の街」として生まれ変わりました。 

バイヤー選りすぐりの日本全国の逸品を集めた「CHABARA AKI-OKA MARCHE」は単においしいものが手に入る場ではなく、生産者と消費者が直(じか)に繋がる場として、食の奥深さや伝統・伝承に触れていただきます。ものづくりの街「2k540 AKI-OKA ARTISAN」の第二弾として2013年、高架下に誕生。(HPより) 

※「ちゃばら」とは「やっちゃば」(青果市場の別名である「やっちゃ場」は威勢のいい競りのときのかけ声から生まれた言葉と「秋葉原」の造語。 

  

こちらには 

日本百貨店しょくひんかんでは、全国の名産品が地域ごとにおいてあったり、あとは缶やカレーなどの種類ごとに展示されていたりしていました 

わたしは母親の実家が静岡でこの時期におばあちゃん家に遊びに行くとき買ってもらったお茶の羊羹と気になったラベンダー茶を購入しました。 

ジャスミンティーのような味だけど癖が強くなく飲み始めるときに一瞬ラベンダーが香るのが美味しい!全国販売してくれないかな。お茶羊羹は安定のおいしさです☆抹茶は甘利好きではないけどこのお茶の羊羹だけは喜んで食べられる!ふふふ。 

御徒町駅から秋葉原駅までの高架下の空間、とても面白い場所になっていましたね!正直、こんなに変化しているとは露も知らず。。こだわりのお気に入りを探しに行くのにちょうどよさそうですね☆ 

また、このエリアだけでなく高架下のイノベーションは行われているようです! 

https://www.jrtk.jp/

今回お邪魔したところは・・ 

  • 2k540 AKI-OKA ARTISAN 
  • 〒110-0005 東京都台東区上野5丁目9 
  • 電話: 03-6806-0254 

○ SEEKBASE AKI-OKA MANUFACTURE 

○ 〒101-0022 東京都千代田区神田練塀町13−1 

○ ちゃばら 

○ 〒101-0022 東京都千代田区神田練塀町8−2 

○ 電話: 03-3258-0051 

前回の記事はこちら

参拝するだけで人生パワーアップ!? 

今年の4月に友人からインスタで人気だから行ってみたい!と誘われた場所がある。その場所は「神田明神」で、この時には桜満開のタイミングだったので夜桜+参拝という株式会社ネイキッドが企画・演出・制作を手がけたものが開催されていた。 

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000746.000008210.html

あいにく、雨が続いたのと友人とのスケジュールが合わなくて行くことができなかったが、様々な媒体で写真や感想をみると、いきたかったかなーという悔しい思いがでてきたので 

記憶に残る出来事だった。 

そういうことがあって神田明神という単語は頭の隅に残っていたけど、なかなか神田明神にいけずにいたが、この前行った湯島聖堂の少し奥にあったので行ってみることに。 

御茶ノ水駅から湯島聖堂へと上野駅方面に進むと、ありました! 

正式名称・神田神社。 東京の中心の神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、豊洲魚市場、108町会の氏神様です。 

「明神さま」の名で親しまれております。 (HPより) 

黒っぽくて質素な印象の「湯島聖堂」の後だからか、なんかすごく派手というか圧倒されます! 

参拝する前に清めて・・・と中に入っていきます。 

神田明神の御祭神は 

一之宮・大己貴命(おおなむちのみこと) 

大国様。縁結びの神様。天平2年(730)ご鎮座。 

国土開発、殖産、医薬・医療に大きな力を発揮され、国土経営、夫婦和合、縁結びの神様として崇敬されています。また祖霊のいらっしゃる世界・幽冥(かくりよ)を守護する神とも言われています。大国主命(おおくにぬしのみこと)という別名もお持ちで、島根県の古社・出雲大社のご祭神でもございます。国土経営・夫婦和合・縁結びの神様としてのご神徳があります。 

二之宮・少彦名命(すくなひこなのみこと) 

えびす様。商売繁昌の神様。 

商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様です。日本に最初にお生まれになった神様のお一人・高皇産霊神(たかみむすひのかみ)のお子様で、大海の彼方・常世(とこよ)の国よりいらっしゃり、手のひらに乗るほどの小さなお姿ながら知恵に優れ、だいこく様とともに日本の国づくりをなされました。 

三之宮・平将門命(たいらのまさかどのみこと) 

まさかど様。除災厄除の神様。延慶2年(1309)にご奉祀。平将門公は、承平・天慶年間、武士の先駆け「兵(つわもの)」として、関東の政治改革をはかり、命をかけて民衆たちを守ったお方です。明治7年(1874)に一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、昭和59年に再びご本殿に奉祀され今日にいたっております。東京都千代田区大手町・将門塚(東京都指定文化財)には将門公の御首をお祀りしております。 (HPより) 

境内に入ると左に大黒さまがいらっしゃって、 

湯島聖堂の孔子像もそうだけど、 

サイズがでかい。。こちらは高さ6.6M、重さ約30tで 

石造りとしては日本一の大きさの大黒様像として建立されたそうです。 

それだけご利益もあるのかなーと期待して(笑)、様々な良い縁を結べますように。 

また、新たに建立された鳳凰殿の隣に「えびす様」の御尊像が建立されています。 

   

制作にあたってのメッセージはこちら↓ 

https://www.kandamyoujin.or.jp/keidai/

それではおまいりに向かいます。 

この御社殿は国登録有形文化財に認定されて昭和9年に竣功。 

権現造。当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿。本殿・幣殿・拝殿さらに神饌所・宝庫が重なり合うように造られており、昭和初期の神社建築では新しい形式をもつ。現代社会に対応できる構造で、1920年の東京大空襲にも耐え抜いた社殿です。 

神社でのお参りの仕方はあやしかったので・・神様に届いたかはちょっと疑問が残りますがこれで、恋愛だけでなく良縁と健康運・勝負運が上昇したはずなので問題ないでしょ! 

ということで2018年にできた神田明神文化交流館Edocco へ 

https://edocco-studio.com/

htps://youtu.be/6exF_53TjPQ 

こちらでは伝統文化からサブカルチャーまで体験できる施設です。 

施設の中でお土産やおみくじ、御朱印、江戸の伝統文化ショー、訪日観光客のための文化体験があります。確かに行ったとき、外国人のかた日本人より多いという印象をもったのはこれが理由なのか。。 

 

参拝を楽しむ情報はこちら↓ 

https://xn—-kx8am88a7ngwobe39b8vgca.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/category/%e7%a5%9e%e7%94%b0%e6%98%8e%e7%a5%9e%e3%81%ae%e3%80%8c%e6%8b%9d%e8%a6%b3%e6%99%82%e9%96%93%ef%bc%88%e5%8f%82%e6%8b%9d%e6%99%82%e9%96%93%ef%bc%89%e3%83%bb%e6%8b%9d%e8%a6%b3%ef%bc%88%e5%8f%82%e6%8b%9d

あまりひろい敷地ではないけれど、平安時代からある神社とあってここだけでは語れない魅力いっぱいの神田明神でした☆ 

パワースポットとして有名な神田明神↓ 

https://hirotravel.com/kantou/toukyo/kanda/akusesu.html

ここは押えておきたい!秋葉原のおすすめ観光スポット30選 

https://www.ikyu.com/kankou/arealist8097/

では3位で紹介されています。 

第1位の神田祭もhttps://www.ikyu.com/kankou/spot8525/ 

神田明神の祭りで毎年5月に開催されているものです。 

1600年、徳川家康公が関ヶ原の戦いに臨む際、戦勝のご祈祷を行ったところ、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすこと執り行うよう命ぜられました。 

という、神田明神の勝負運の運勢をいただいて、天下分け目の戦いを勝利していたとは。 

それだけでなく、このお祭りのみどころは平安時代の衣装を身に着けた人々が近代的な町並みを練り歩く姿です☆ 

こちらも参考にどうぞ↓ 

https://www.asoview.com/note/735/

今回お邪魔したところは 

 ○名称 神田明神 

 ○住所 〒101-0021 東京都千代田区外神田2丁目16−2 

 ○電話 03-3254-0753 

 ○HP https://www.kandamyoujin.or.jp/  

前回書いた神田明神のお隣の湯島聖堂の記事も是非見てみてくださいね。