玉の輿に乗るならここにお参り!

旧万世橋駅がリノベーションされてできた、mAAch マーチエキュート神田万世橋(内部リンク)時代が変わっても人とモノの賑わい溢れる場(内部リンク)に行った際に、何処か近くで面白いところはないのかなと考えたところ、出てきたのが柳森神社(やなぎもりじんじゃ)だ。 

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/chiyoda/5543/ 

この神社は、1457年麹町台地の東端に扇谷上杉家の家臣太田道灌が築いた平山城であった江戸城の鬼門除けとして、多くの柳をこの地に植え、多くの柳をこの地に植え、京都の伏見稲荷を勧請したことに由来する神社である。また、椙森神社烏森神社と共に江戸三森の一社と呼ばれた。そしてもう一つ、玉の輿に乗りたいひとが参るべきなのかは、また後述する。 

では行って見ましょう! 

お茶の水駅から旧万世橋駅を抜けて神田駅に向かう中央線の高架下を抜けると、室町時代に多くの柳を植えた名残が道路沿いにある。 

鳥居の前に立つと、社殿が鳥居より下にある「下り宮」である。 

「下り宮」?鳥居(門)からの参道が下り坂になっているお宮のことで、有名な「下り宮」では島根県にある出雲大社だ。 

鳥居をくぐり、階段を下ると、右手には富士講関係石碑群がある。 

5つの石碑群は、柳森神社は、柳森神社周辺に存在した富士講のなごりを今日に伝える石碑群です。富士講とは、富士山信仰をもとに成立した民間信仰の一種で、江戸時代、特に町民や農民の間で流行しました。柳森神社は、1680年に駿河富士宮浅間神社から分祠した富士浅間神社を合殿・合祀した経緯から、富士講と深い関わりを持つ場所でした。 

(看板より) 

手水舎の水鉢は1698(元禄6)年の刻銘がかすかに読み取れる。 

また、その先へ進むと、「力石群」がある。 

実は、この柳森神社境内は小さいが、主祭神の倉稲魂大神(くらいなたまのおおかみ)をはじめ、幸神社(伊弉冉命、稚産霊命、倉稲魂命、誉田別命)、福寿神祠、金刀比羅神社、水神厳島大明神、江島大明神、秋葉大神、明徳稲荷神社(宇気母智神)、富士淺間神社(木花開耶姫命)を配祀する境内社が多い神社なのだ。 

これだけいると、争いが起きそうな感じだが神様だから争わないか笑 

この中で、福寿神祠がタイトルにある通り、玉の輿にまつわるモノだ。 

なぜなら、5代将軍綱吉の生母である桂昌院が崇拝していた狸の神様が祀られている。というのも、八百屋の娘から将軍の生母として出世した桂昌院にあやかろうと大奥の女中に崇拝者が多く、女中たちは福寿神をかたどった像を忍ばせて玉の輿を願ったそうです。(諸説あり) 

時代と共に玉の輿の願掛けから「他を抜く」という意味を持たせて出世や富くじ的中など福を求めた理、所願成就の神として崇められるようになりました。 

もともとは、江戸城内に福寿いなりと称して創建された。後世、元倉前甚内橋際 向柳原の御旗本、瓦林邸内に祠を移し祭祀される様になり、明治二年現在の柳森神社に合祀されました。 

境内の細かい装飾まで見ることができるのはこちら 

柳森神社に祀られている、詳しい神様の説明はこちら 

参拝した後、ふと見えてきたものがあった。 

御朱印状、とある。え?セルフの御朱印初めて・・・ 

押したものがこちら 

あーん、ごめんなさい。いつも持ち歩いている御朱印帳忘れてしまって、ノートに押しちゃいました。 

料金は賽銭箱に100円と書かれていたので入れて帰ってきました。 

本当に今回調べるまでは知ることのなかった柳森神社。小さい境内の中にたくさんの神様が祀られていて、御利益も多岐にわたる。また歴史的にも徳川家康公が江戸幕府を開く前、室町時代から創建されている興味深い神社だった。 

https://jinja.tokyolovers.jp/tokyo/chiyoda/yanagimorijinja

春日局に見込まれて三代家光公の側室となり、五代将軍綱吉公ご生母となった桂昌院様は、京都堀川に八百屋の娘として生まれたお玉が、当時、格も高く由緒もあった西陣の大店である本庄家に養女に出され、江戸まで輿に乗って嫁いだのち、将軍の母になったことで官位は従一位となることで大・大・大出世?(というのか笑)したことが玉の輿の語源ともされている。 

女性ならご利益をいただいて結婚相手を探してもいいのかもしれない。男性はどうなんだろう笑笑 

どちらにしても皆様が幸せに健康に日々過ごせますように 〜祈〜 

今回お邪魔したところは・・・ 

  • 柳森神社 

前回邪魔したところは柳森神社から徒歩10分の旧万世橋 

時代が変わっても人とモノの賑わい溢れる場

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